コロナの話。
2度目の緊急事態宣言も当初の期限から1か月延長となった。
感染者数は減少傾向となり、一部自治体では緊急事態宣言の解除に向けて動いている。
都内に住む私は会社からの通達で「週に2日程度」の「在宅勤務」を励行している。もっとも「2日程度」という曖昧な設定で、かつ指示ではなく「努力目標」として掲げられた「在宅勤務」に強烈な違和感を感じながらも、私は与えられた「在宅勤務」の権利を享受し、きっちりと「週2日」の在宅勤務日を過ごす一般サラリーマンだ。
職場には週2日以上の在宅勤務を励行している人間はだれ一人いない。私を除いては。
以上の通り、私が誰よりもコロナ対策に力を入れているのは言うまでもない。
本当は隔日出社くらいにしたいくらいだし、このご時世に職場の人間が全員顔を合わせる日があること自体なんだかやりかたが間違っていると思う。
今の部署に2名しかいない管理者は毎日出社し、いずれか一方が感染した場合のリスク(接触者、濃厚接触者となるリスク)と共存している。
在宅勤務については人事部に活動報告書を提出しなければならないことが煩わしいという理由だけで消極的になっている。ばかばかしい。
我々が取り組まなければならないのは感染しない努力、そして周囲に感染を広めない努力の双方であるべきなのに、「面倒くさい」という意識が先行しているのはなんだか違うように思う。
経験者(感染)の私からすれば、感染したほうがよっぽど面倒くさいし、感染させてしまったのではないかという罪悪感や不安は優しいものではない。
今回は体験談(自宅療養)を踏まえていくつかの有益な情報を共有できればと思う。
ホテル滞在や入院は知人の体験談でしか聞いていないので割愛する。
<疑わしき症状がでた>
①保健所の相談窓口に電話
②指示に従い発熱外来等に受診
③PCR検査を実施
④自宅隔離状態となり結果を待つ
<自宅療養となった際に気を付けたこと>
・隔離状況の構築
物理的に居住空間を分ける
共有部分は常にアルコール消毒を行う
物に触れる際は手袋を着用
・食料の確保
ネットスーパーを最大限活用。非対面で受け取れるものを選択するといい。
・健康観察
毎日症状を確認する。(検温、嗅覚・味覚の確認、咳の有無など)
コロナに薬はないので対処療法となるので症状に応じて薬を服用する。
→私の場合は解熱剤、抗生物質(喉の炎症を抑えるため)、咳止め等を服用した
肺炎になったら怖い(即入院が必要)なのでパルスオキシメーターで血中酸素濃度を定期的に計測する。
発症日から10日経過し、症状が軽くなっていると就労制限が解除となり、晴れて社会復帰ができる。
保健所から就労制限の解除通知や自宅療養証明等を送付してもらうと保険の入院給付金の申請がスムーズになるので忘れないことをお勧めする。
ちなみに自宅療養期間中に保健所からの連絡はほとんどない。
症状に変化がある場合は速やかに指定された相談窓口に電話したほうがいい。
職場復帰後もいろいろと面倒くさいのは言うまでもない。
代行してもらった仕事の事後処理や、根も葉もない噂との戦いが始まるのだ。
こんな面倒くさい思いは二度と御免なので、私は今日も感染症対策に勤めるのである。
誰もがマスクなしで笑って過ごせる日が来ることを切に願ってる。
失敗した話。
このコロナ禍において在宅勤務日という実質休みのような日が週に1度設定されている。
今日がその日だ。
問い合わせの連絡は何回かあったけど、あとは自由に過ごしていた。
明日の弁当の用意もできたし、あとは風呂に入って寝るだけだ。
何もしないと昔のことをよく思い出す。
昔営業マンデビューをしたころの話。
弊社は新入社員として入社したのち、数週間の集合研修を経て支店に配属となる。
同じ釜の飯を食い絆を深めた同期とは簡単に離れ離れになり、一人で凝り固まった企業文化の渦に投げ出されるのだ。
(もっとも俺は同期と仲良くなかったんだけどね!!)
一年間事務の仕事を教わりながら、自社の金融商品(といっても預金商品なんだけど)についての知識や伝票、現金勘定等いろいろな実務に慣れていく。
どこの支店にも必ずと言っていいほど「お局さん」がいて、女性の職場特有のドロッとした雰囲気の中、男一人ちやほやされながら仕事を覚えていくのである。
悪い気持ちはしなかったが、正直面倒くさいなって思っていたし、くだらない愚痴を聞くのは面白いものではない。
なにより嫌だったのは極度に面倒くさがりな奴が多かったってっことだった。
・新しいことを覚えようとしない
・自分仕事の範囲を勝手に決めてそれ以上はやらない
・客が来ない時間はおしゃべりして、電話もろくに出ない
・そのくせ上司や、出来の悪い営業の愚痴ばかりを言っている
etc...言い出したらきりがない、、、
とにかく、やりたくないが故にやれない言い訳を言うやつが多すぎた。
そんな奴らは大嫌いだった。仕事としてやる以上やらねばならないことがある。
どうしたらできるのかを考えることもせず、最初からあきらめているその姿勢に腹が立ってしかたなかった。
こんなことを言っている自分自身も決して優等生ではなかった。
だけど、そんなことを思いながら日々過ごしていたのは事実だった。
2年目になると営業係としてデビューする。
「準備をして、同行期間があって、独り立ちする」というのがセオリーだった。
だけどどうしてか自分の時だけそうではなかった。
突然営業に任命され、乗ったこともないスーパーカブにまたがり、20歳くらい年の離れた先輩から引き継ぎを受けた。
引き継ぎ期間は4日間。
新人相手の引継ぎ期間としては異例の短さだった。
しかも最終日、引継ぎがすべて終わることなく先輩は目の前で事故った。
子供の飛び出しによるものだったが、けが人が出るような事故ではなかった。
とはいえ人身事故だったから救急車やらパトカーやらと大騒ぎになった。
そんなこんなで引継ぎが完了する間もなく、引き継ぎ期間は終了し、前任者は他の支店に異動していった。
こんな丸投げがあっていいものか、、、
この時初めてだったと思う。本気で辞めたいと思った。
営業マンとして独り立ちしてからは散々な日々だった。
まず道がわからない。
(なぜスーパーカブでふ頭のコンテナヤードまで集金に行っているのか・・・)
顧客データと実際の訪問先が違うなんてことが当たり前にあった。
ふざけるなっておもった。
失敗1
パトカーにつかまった。
多分営業デビューして3日目くらいだったと思う。
二段階右折をしなければならない道路でふつうに右折してしまったのだ。
右折レーンは3車線に含めないという謎の俺ルールを適用した時点でもう運命は決まっていたんだと思う。
事故らなくてよかっと思っている。
失敗2
免許証を出せと言われた。持っていなかった。
オフィスのデスクに財布ごと忘れたのだ。
免許証不携帯だと運転できないことも知らずに完全に足止めをくらってしまった。
客とのアポイントがあって上司と現地集合の約束もしていたし、気持ち的に二度は死んでいたと思う。
てか死んでる。
死を覚悟してその日同行予定の上司に免許証を持ってこさせた。
失敗3
これは営業デビューから2週間目くらいの時だったと思う。
鍵をなくしてしまった。営業バイクの鍵だ。
客先から駐車していたところへ戻ると、さっきまで動かしていたバイクの鍵がどこにもないのだ。
どこを探しても落ちていないし、カバンのなかも、ポケットの中にもなかった。
先輩に電話して自転車でスペアキーを持ってきてもらった。
この時の先輩は輝いていてなんかとても格好よく見えたよ。(そんなに仕事はできない先輩だったけどな)
失敗4
印鑑をなくした。
これはあらゆる書類に押印する印鑑で、突然の営業デビューだったから集金用の印鑑としても使っていた印鑑だった。(集金用は専用の印鑑があるのだけど急すぎて納品が間に合ってなかった)
始末書を書く羽目になった。俺も直属の上司も。
別室に呼び出されて上司に頭殴られたのを覚えている。
この恨み晴らさでおくべきか・・・!!!
これらはすべてデビューから一か月以内の出来事である。
一生分の失敗を経験した気がするし、命がたくさんないと務まらない仕事だと思った。(自業自得)
もし将来、自分の部下が同じ失敗をしたとしても許してやろうと思っている。
こんな自分でもかならず誰かの役に立つ時が来るのだから、多少の失敗は問題にはならないと今は思う。
自分にも人にも厳しいことが良しとされている風潮がある。
でも自分にも人にもやさしくて、希望に満ち溢れているほうがハッピーだと思うな。
俺はハッピーになりたい。
おわり。
お金の話。
世界は変わってしまった。
2011年4月に僕は地元の信用金庫に入社した。
東日本大震災の直後だ。
東京が混乱し、大津波のニュースを見るたびに自分の中で何かが変わっていくのを感じていた。そんな頃だった。
「経済も混乱し、仕事の在り方、働き方の在り方も変わっていくんだろうな」
なんとなくそんな気持ちを抱いていた。
まだ「働き方改革」なんていう言葉はなかった時代だ。
ところが思っていたより景気は悪くなかった。
今では信じられないかもしれないけれど、年に2回の定期預金のキャンペーンがあって、ぼろくそに言われながらも預金の獲得に奔走した。
高齢者の家々を回り、取引のある法人を巡っては、定期預金のチラシを配った。
誰の役にも立っていなかったし、やりがいなんてなかった。でも客先で出されるお茶はうまかったし、出されたお菓子は食いまくった。
仕事に慣れてきたころ、事態は一層に悪くなった。
きっかけは忘れてしまったけれど、いわゆる「マイナス金利政策」が始まった。
預金を集める時代が終焉を迎えたのだ。(難しい話は割愛する)
このころイキリ営業マンだった僕は企業先への融資に没頭していた。
会社は辞めるつもりでいたけど、無能な同僚が多かったおかげで成績は優秀だったし居心地はそんなに悪くなかった。給料やボーナスに不満はあったけど、先輩や上司におごってもらうスキルでやり過ごした。やっぱりクソ生意気だったと思う。
余資運用に困った地銀が一気に都心に集まり、競争が激化していった。本来買い手市場である融資が、売り手市場へと変わっていった。優越的地位の乱用なんて言葉は死語なんじゃないかとも思った。
生意気な客も増えた。(自分のことは棚に上げたい)
「うちはメインバンクなんか持ちませんよ、条件のいいものから使っていきます。」
なんていう客も珍しくなくなった。
まあそんな状況の中でメガバンクや地銀の優秀?な担当者を差し置いて、契約獲得していくのは面白くもあった。
そしていつの間にか令和の時代になった。
元号が変わるとシステムの変更や帳票の変更が多くて、クソ面倒くさいなと思った。
金融機関は面倒な業務が多すぎるし、無駄も多いし、仕組みを考えてるやつらはバカなんじゃないかとさえ思った。やっぱりいつか辞めるだろうなって思っている。
今は新型コロナウイルスが流行っている。
確実に世界は変わってしまった。
ちょっと前までは「ワンチーム!!」とかほざいてた奴らが、互いに攻撃しあっている。
マスクをしない奴は罪人扱いされ、営業自粛やテレワークを推進できない企業はブラック企業扱いされている。
話はすこし変わるが、なぜか最近会社のトイレの手洗い石鹸の減りが早い。
もしかして弊社はトイレの後に手洗いしない系男子の集まりだったのかな!?
やっぱりこの会社はいつか辞めようと思った。
新型コロナウイルの話にもどる。
金融業界は新型コロナウイルスで沸いている。
保証協会付無利子融資の取り合い合戦が始まり、世はまさに戦国時代である。
大した事業への被害もないのに売上操作で融資枠獲得に動くフリーライダーの存在は目に余るものがあるが、この話は割愛する。
緊急事態宣言の中、多くの事業者が事業(営業)停止に追い込まれた。
売上ゼロの期間が1か月以上続くなんて誰も想定していなかったし、日に日に減っていく預金残高に絶望し、多くの経営者が資金繰りに奔走している。
あれだけ生意気だった客も「融資お願いできませんか??なんとかなりませんか??」と泣きついてくるほどだ。
そういえば5月のGWにいくつかの窓口を開け、休日出勤を強いられた。
客はほとんど来なかった。
やっぱりこんな会社辞めてやろうと思った。
世界は変わってしまった。
「新しい生活様式」「働き方改革」「デジタルトランスフォーメーション」
色んな新しいことが始まっている。
梅雨も近いし、そろそろエアコンの掃除はしっかりしておいたほうがよさそうだ。
今日は「在宅勤務」という名の休日を過ごした。
天気は良かったけどなんだか寂しい空模様だなぁと思った。
「変われない大人にはなるな」
「卑怯な大人になるな」
そんなことを言われている気がした。
キンタマキラキラ金曜日なのでビールでも飲もうかな。
とりあえず、乾杯。